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書籍紹介:透析を止めた日

 

 今回は今話題の新書である「透析を止めた日」という本を紹介させて頂きます。

 

 

「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかったー」

 

 本書はノンフィクション作家・堀川惠子氏が、10年以上にわたる血液透析、腎移植、再透析を経て、最終的に透析を中止する決断をした夫との闘病生活を基に描いた医療ノンフィクションです。

 二部構成になっており、第一章は夫である林新氏との出会いから、二人三脚での血液透析を伴う闘病生活、そして壮絶としか言えない最期に至るまでを克明に描いています。第二部では、透析を取り巻く現状に疑問を抱いた著者が徹底した取材を行い、透析医療の現在地を記し、今後への問題提起が行われています。

 本書は透析患者が「安らかな死」を迎えることの難しさや、緩和ケアの不足といった医療制度の問題点を深く掘り下げており、医療従事者として、透析患者の終末期医療や緩和ケアの現状を見つめ直す契機となる一冊です。

 

 結論から申しますと、本書は間違いなく医療従事者全員に読んでほしい一冊です。以下、各章にわけて感想を述べていきたいと思います。

 

第一章

 闘病生活を描いた第一章は、正直読むのがかなりしんどい内容でした。診療に関わった医療機関や医療従事者(主に医師)の対応が粗雑であり、精一杯生きようとする二人を苦しめます。特に、血液透析による苦痛が強まり、透析を中断する決意をしてから亡くなるまでの描写は、まさに壮絶の一言。同じ医療従事者として、「それはないでしょう」「もっとやり方があったはずだ」と、何度も憤りを感じ、読んでいて目頭が熱くなる場面がありました。

 ただ、登場する医師全員が非道な人間かというと、そういうわけではありません(本当に擁護できない医師もいましたが…)。望ましくない対応をしてしまった背景には、日常業務に忙殺されていることや、所属する医療機関での人間関係の問題など、本人だけの責任とは言い切れない部分もあるように感じました。「もし自分が彼らと同じ立場だったら、本当に適切な対応ができただろうか?」と、自問自答しながら本書を読み進めました。実際、コロナ禍の際には精神的に全く余裕がなくなり、常にイライラしていた時期があったことを思い出します。その頃の自分も、患者さんやその家族に対して、医療従事者として最善の対応ができていたのかどうか分かりません。本書を読んだことで、自分の診療を振り返る良い機会となりました。

 また、著者である堀川恵子氏と、その夫である林新氏が、病状が悪化していく中でも前を向き、精一杯生きようと奮闘する姿には心を動かされました。林氏は良い意味で「漢らしい」といいますか、無骨で野武士のような性格で、基本的に甘えたり弱音を吐いたりすることが苦手な方です。著者にも弱い部分をほとんど見せません。そんな彼が、亡くなる少し前に「あぁ、あと10年…。70歳くらいまで、恵子とふたりで生きていたかった」と漏らす場面は特に強く印象に残りました。私自身も数年前に結婚したこともあり、この夫婦の「生き様」には深く感情移入せずにはいられませんでした。

第二章

 第二章では、夫を看取った経験を基に著者が取材を行い、現在の透析医療の現状に一石を投じています。私自身、「透析患者の最期」に関わった経験がほとんどないため、非常に勉強になる内容でした。

 著者によれば、本邦の透析医療は「最期まで血液透析を続けることに固執し過ぎている」と指摘しています。血液透析は体力のあるうちはよいのですが、高齢になると定期的な通院が困難になり、透析そのものの負担にも耐えられなくなります。その場合でも、血液透析を止めるという選択肢は事実上なく、透析が可能な病院に入院して透析を続けることになるそうです。患者が「家に帰りたい」と訴えても退院は叶わず、血液透析中に血圧が下がって苦痛を訴えても、それでもなお透析を優先されるー。そして入院したまま、苦しみながら亡くなるケースが多いとのことでした。

 私自身は透析医療に携わっていないため、本書の記載をすべて鵜呑みにするわけにはいきません。ただ、末期腎不全で透析を中止すると、肺水腫や尿毒症による呼吸困難や全身の疼痛など、深刻な苦痛が現れるのが現実です。そのため、医療従事者としては血液透析を継続せざるを得ないのが現状だと思います。

 本書が注目しているのは、こうした状況に対する解決策の一つとして「腹膜透析」を提案している点です。腹膜透析は、一般的に思われている以上に導入しやすく、管理も比較的簡便であり、在宅や介護施設でも実施可能です。また、適切な管理を行えば、終末期にも患者に苦痛を与えることなく、安らかな最期を迎えることが可能だといいます。確かに腹膜炎などの感染リスクはありますが、適切な管理を行うことで最小限に抑えられるとのことです。著者が取材したいくつかの病院やクリニックでは、腹膜透析を効果的に運用している施設があり、透析医療の選択肢を広げ、患者の希望を尊重した医療を提供している様子が描かれていました。私が従事するプライマリケアの現場でも、血液透析より腹膜透析の方が適していると感じる場面があるかもしれません。ただし、地域で腹膜透析の理解を深めるにはハードルがあり、現状では誰でもどこでも導入できるわけではない点は留意が必要です。

 また、透析医療に「緩和ケア」の概念が欠如している点も、本書で問題提起されています。本邦では「緩和ケア=悪性腫瘍の末期」というイメージが根強く、それ以外の領域での緩和ケアの理解が進んでいない状況があります。第一章でも「もっと早く、適切な緩和ケアが行われていれば、林氏はここまで苦しまなかったのではないか」と感じずにはいられませんでしたが、これが透析医療の現状であるようです。この問題は透析医療に限らず、心不全や慢性呼吸器疾患、糖尿病、認知症といった領域でも共通しています。実際、プライマリケアの現場では高齢者を看取る場面が数多くありますが、非がん患者に対する苦痛の緩和について悩むことが少なくありません。

 本書には、とある医師の印象的な言葉が引用されています。

「内科だろうが外科だろうが泌尿器科だろうが、ドクターなら誰でも緩和ケアができないといけないと思います。救急救命のプライマリーケアと、最後の緩和のためのプライマリーケア、この両方がそろわないと、医師として本当に満足な仕事はできません。」

 この言葉には強い共感を覚えました。医師であれば誰もが的確に診断を下し、疾患を治療することに憧れを抱くものですが、超高齢化社会では「その人の最期をより良く導く技量」も不可欠です。本邦の医学教育には、「人の最期を診ること」をもっと取り入れるべきだと痛感しました。

まとめ

 ここまで第一章と第二章について、読んだ感想を述べてきました。最後に全体をまとめて本稿を締めくくりたいと思います。

 著者である堀川恵子氏は著名なノンフィクション作家ということもあり、その文章は驚くほど読みやすく、あっという間に読了してしまいました。

 先ほども述べた通り、医療従事者として第一章は非常に辛い内容でした。正直なところ、林氏の最期を見る限り、彼らに提供された医療は批判されても仕方のないものであったように思います。ただ、著者は非難を最小限に抑え、むしろ医療の現状に一定の理解を示した上で、今後の課題として問題提起をされています。この姿勢には、著者の寛容さと器の大きさに驚かされると同時に、深い感銘を受けました。

 本書を通じて、透析医療という普段あまり触れる機会のない医療の現実を知ることができ、自分でももっと勉強したいという意欲が湧きました。また、病魔と最期まで戦い抜いた林氏と堀川氏の生き様を通じ、「患者さんが医療に向ける視点」について改めて考える機会を得るとともに、自分のこれまでの診療を振り返る良いきっかけともなりました。

 医療に携わる人であれば、読んで損のない一冊だと思います。本稿をきっかけに、ぜひ皆さんも手に取ってみてください。